本来は鉄道信号の付替えを撮りたかったのだけれど、ペルケオIIでは準備に時間がかかり間に合わなかった。
カメラ選択のミスだ。ちょっと覚えてないけれど、MINOLTA TC-1はフィルムが切れていたとかだったかもしれない。
雨の中、ヘルメットが黄色い人達はそれなりに目立つ。ご苦労さまとしか言いようがない。
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なぜ、今どきフィルムカメラで写真を撮るのか?
何度めかの自問をした。正直言って、今はそれほど高くなくなってしまったカメラ、たとえば、α7sあたりとかだったらそれなりに僕がいいなあと思える写真が僕にさえ撮れてしまうんじゃないかと幻想させる何かがある。いつも、フィルムカメラを購入する時は、もう少しきちんとお金を貯めて、それなりのデジタルカメラも買うべきではないのかとちょっと悩む。
まあ、そんな悩みは、古いフィルムカメラをいじっているとすぐに忘れてもしまう程度の悩みでしかないのだけれど。
あらためて考えてみると、僕にとってはすでに写真という結果だけではなく、それを撮るための手段であるはずのフィルムカメラを含めたトータルでの魅力ということになるのだと思う。僕は努力せずに考えることなく適当に撮った写真を僕が凄いなあと思うのが理想なのだけれど、すでに写真を撮るということには、フィルムカメラのギミックを楽しむということ自体が組み込まれてしまっている気がする。
僕がいいなあという写真を撮るだけではなく、フィルムカメラの機械としての美しさや精巧さ、時を経て腐ちつつある物としての存在そのもの、写真を撮るまでの手順、フィルムカメラによって手順は異なるけれども、距離を測り、露出を決め、シャッターをチャージし、フレームを決め、シャッターを切ることそれらがすべて魅力の一部としてあるのだと思う。写真という結果だけではなく、どのカメラで撮るのかということ自体も、楽しみの一部なのだろう。
だからこそ、どんどんフィルムカメラは増えてしまっているわけで orz
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とはいっても、それで限度なく購入していたら、僕の予算ではまったくたりない。それこそフィルム自体買えなくなってしまって本末転倒だろう。そこで、勝手に自分ルールを決めていた。まず、ライカM型以降は買わない(正しくは買えない、のだけれどそこはまあかっこつけで)。一眼レフは買わない、なんて先月までは言っていたのだけれど、つい、KIEV 60という中判一眼レフを入手してしまったことで、一眼レフの歯止めを外してしまった。一眼レフが嫌いなわけでも興味がないわけでもないので、これはかなりやばい。まあ、予算が絶対的な歯止めとして残っているのであんまり心配しすぎることもないとは思うのだけれど。