MINOLTA TC-1も時にほれぼれとしてしまう。
僕の理想はニューカラーとかじゃないけれど、ああいったのを撮れたら凄いなあとは思う。もちろん、能力も機材も全然違うので、とても本来は口にするだけで恥ずかしいって感じではあるのだけれど(これは無論、自己卑下ではなく正当な自己評価だ)。
だが、それでも(もちろんあそこまですごくはない)カメラが撮らせてくれる写真というものがある。適当に題材を選び、露出を決め、自動でシャッターを押し、機械で現像するだけでも、結構好きな写真になったりする。特に意図しない、運と偶然に頼った写真撮影だけれど、それはそれで驚きがあって好きだ。まあ、今日一番の驚きは、ほぼ同じ状況をメインで撮っていたキヤノンPのフィルムが外れていたことだけれど orz 橋梁を渡るディーゼルカーを、寒い中ちょっと待ちながら撮ったりしたのだけれど。そして僕は今後も、撮影旅行をせず、深く計画や計算をせずに、意図なく、カメラとフィルムと現像所任せの写真を撮り続けるのだと思う。
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MINOLTA TC-1, FUJICOLOR C200, 現像:カメラのキタムラ萩店。青空を撮るとMINOLTA TC-1の周辺減光の凄さ(とここでは言っておきましょう。酷さと言い換えてもいいけれども)がよくわかる。 |
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さきほどの写真とほぼ反対側。同時刻。露出は空に合わせてある感じ。 |
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人がいるだけで、写真でさえも、勝手に脳内物語ができてしまう。そんな明確なものではないのだろうけれど。この写真を僕は意図して撮ることはできない。正月二日、たまたまいた兄弟か親戚の二人がバスケ風のボール遊びしているのを撮っただけの写真だ。まったく意図なくこういった写真が撮れているからやめられない。 |
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