ラベル SIGMA ZOOM 28-80mm F3.5-5.6 MACRO の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2020/07/10

PENTAX MZ-3とCOVID-18下のカフェ&ポタリー音店内

安価に入手したKマウントのズームレンズで撮ったものだ。

かなり安かったのでシメシメと思ったのだけれど、マクロとの切り替えスイッチが固着しているみたいで切り替えできない orz まあいい。カフェ&ポタリー音の店内だ。カウンターには常連さんがいらっしゃる。和装っぽい装いだったと思う。半分が萩焼の展示スペースなので元々そんなに客席は多くない。レンズについてももうちょっと明暗差がとか思わないでもないが、何しろ安かったので撮れればラッキーくらいな感じ。露出もシャッタースピードもオートで広角端で撮ったものだと思う。

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雨で出歩く気にもなれず家でゴロゴロしていた。雨、低気圧にもかかわらず、帯状疱疹による痛みはほぼなく、神経の引き攣れもあまり感じなくなり、ようやく直ってきたかというイメージ。こういう安価なカメラ、レンズでオートで撮っていると、フィルムカメラをわざわざ使う理由が思いつかない。雰囲気というのはある程度はあるだろうけれど、この感じがそこまで好きだというわけでもない。

僕がフィルムカメラを使うのは、まず、フィルムカメラで撮るのが楽しいからによる。カメラやレンズにもよるけれど、まず、構図を決め、フィルムを巻き、カメラによってはシャッターをチャージし、距離を測り、露出計で露出を測り、シャッターを切るというある意味で速報性にかけ面倒な作業をする必要がある。そして、写真によっては、偶然の結果だろうけれど、僕がとても好きな写真になる。

やはり、フィルムカメラのハードウェア自体の魅力も大きい。ごつかったり、小さかったり、スタイリッシュだったり、無骨だったりするけれど、フィルムカメラにはただ、触るだけでとても魅力を感じさせる。ただ、どんなに魅力的な機構であっても、写真のクオリティーがそれほどでもないと、やはり段々使わなくなっていく。自分にあうかどうかの差は、言語化できるほど使ってはいないけれど、とても小さくてそれでいてとても大きい。ただの使っている順番の問題だけという場合もあるし、理由もわからずに惚れ込む時もある。

そして使う機会が減った、またはないカメラを僕は手放す。死蔵しておく趣味はない。カメラは、使ってこそカメラだと思うからだ。僕以外の誰かが使うことが可能になるために、僕はあまり使わないカメラを手放す。

PENTAX MZ-3, SIGMA ZOOM 28-80mm F3.5-5.6 MACRO, 2020/07/03, KODAK ULTRAMAX 400, 現像:桜カメラ


SIGMA BFとLeica ELMARIT-TL 18mm F2.8 ASPH. と農道を抜けた先で見かけた電柱と白い雲と青い空と緑の山々と田起こしされていない田圃

見上げた青空と白い雲、電柱の組み合わせがすてきに見えたので撮った1枚だ。 初夏のような暑さの中歩いていて、農道を抜けて登路が終わりふと見上げた空と地上だ。道をまっすぐ行くと長門深川廃寺跡前を通る農道が続き、右へ行けば国道、旧美祢線の線路、左へ行けば広域農道に繋がっている。長門市街...