2018/12/20

MINOLTA TC-1と夕暮れとか

ドラマチックな描写を好まないといいながら、あるとなんとなく嬉しくなってしまう。

困ったものである。夕日が沈む時間の魔物が観せてくれる光景ってことなんだろう。こういった写真は、本来僕の好みからはずれているはずなのだけれど(いかにも画像加工ソフトウェアを使ったみたいじゃないですか)、偶然に太陽光と風景とカメラとフィルムと現像所の織りなす結果としてだったら、まあいいかという気になってくる。えらそうですいません。偶然に頼り切り、何も考えずにカメラとフィルム任せに撮っているとたまに、まったく意図しなかった写真を撮ることができる。だから、僕は写真を撮ることがやめられないのかもしれない。もちろん、それは僕にとっての満足でしかない。

デジタルカメラであれば、さほど苦労せずに撮ることができるとは思うし、苦労したからといって写真には何の関係もないとは思うのだけれど、趣味ってまあ、そういうものなんだろうと思う。続けていくかどうかは、ある程度モチベーションを得られる結果にもかかっているのかもしれない。

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たまたま検索していたら高級コンパクトカメラを現在使用することについて否定的なブログと肯定的なブログを読んだ。もちろん、色んな意見があるだろうし、何が正しいかは個人によって異なるだろうし、また時間の経過で変っていくこともよくあることだ。はっきり言ってしまえば、その人の使い方によるだろうとしか言えない。

たとえば、描写や結果というか写真自体は、一眼レフカメラでも使った方がいい場合が多いと思う。一部のカメラのある状況における描写とかを除くと。でも、ないカメラで撮ることができないこともまた確かなことだ。計算した描写ではなく、偶然に頼った描写を良しとする人間には、コンパクトカメラは絶対的な威力を発揮する。女性を立たせて適当なポーズをさせてって写真は、正直あまり向かない気がする。もちろん、そういった状況できちんと描写できる人もいるだろうけれど、それは才能の問題だろう。

むいたことに使えばいいだけだし、値段なんて個人の趣味の問題だ。僕はMINOLTA TC-1を高かったと思ったことは一度たりとしてない。なんか僕ごときが使わせていただいて申し訳ありません、と写真を観て思うことがたびたびある。そして使うたびに他のコンパクトカメラへの興味が湧いてくる。

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意味もなくこのブログのレイアウトを変更してみた。

MINOLTA TC-1, FUJIFILM ISO100業記録用カラーフィルム, 現像:桜カメラ

Perkeo IIと長門市湊漁港の夕焼け、ポジによる https://yamphoto.blogspot.com/2018/12/perkeo-ii_5.html と同時期に撮った写真が含まれる。

これは朝ですね。
PERKEO IIと石油スタンドとか踏切とか電線の鳩とか https://yamphoto.blogspot.com/2018/12/perkeo-ii_10.html の3枚目の写真と同じ時に撮ったものだ。画角によって見える世界がまったく異なるのは当たり前のことだけれど興味深い。夕暮れには少し早いが夕暮れ間近だったと思う。

これは小野田のショッピングモール近く。



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