2018/02/06

MINOLTA TC-1で撮った写真を画像加工ソフトで加工しないわけ

深い意味はない。強いて言えばめんどくさいから、かなあ。

多少いじってもどうしてもアンバランスになるような気がする。もちろん、リサイズくらいはするだろうけれど、それ以外はほとんどいじらない。

なぜか、といえば一言で言えば僕の腕ではやったほど効果があるとは思えない点と、さらに、技量不足からくるものだけれど、きわだった絵面があまり好みではないからだ。それはまったくもって僕の嗜好でしかない。

元々、観るということも、写真も、実際の物や自然、人とは異なった物を観ているわけだし、異なった形でしか描写することができない。それを人の手でさらに加工しちゃうことは、だったら絵でいいじゃん、とか思ってしまうわけだ。まあ、極端な考え方だけれど。いや、本当は僕の技量不足のただの言い訳かもしれない。

もちろん、人が観ることができる世界も人の目や脳の限界によってある種の制限の中で認識しているわけなんだろうけれど(たとえば、猫や犬を始めとした多くの哺乳動物は色を認識できないとか、赤外線とか紫外線とか人が見ることができる範囲の外で見た世界は異なって見えるはずだとか)、だからといって写真も別にカメラやフィルムやディスプレイや焼付の限界の中での映像でしかないわけで、そこからさらに加工することにめんどくささを感じてしまっているのだろう。

僕にとって写真ってのは、世界を一瞬だけあるデバイスで切り取ったものということなんだろう。もちろん、切り取ることで、単純にフレームが表示されることでさえも、ある種の物語が生まれてしまう。それはもちろん、撮った人が作った物語ではなく、観る人が自分の体験、遺伝的なもの、他様々な過去から生じてしまうものなんだろう。それを意図的にするか、結果的に勝手に生まれてしまうかは、そこにある写真とそれを観る人からすると無関係なんだとは思う。

などという適当な文章を書いたのだけれど、Photoshop 1.0をMacintosh PlusやMacintosh IIで使ったのが画像加工ソフトウェアとの出会いだけれど、本音を言えばめんどくさいだけだけなんだろうと思う。せめて水平くらいとれとかトリミングしろと自分でも思わないでもないけれど。

MINOLTA TC-1, FUJICOLOR C200, 現像:カメラのキタムラ萩店



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