2019/04/27

ARAX-60と長門市では比較的高いビル

長門市では数少ない比較的高いビルだ。

これでも駅前すぐ近くなのだけれど、基本的に田舎だと駅前はあまり開発されていない場合も多い。長門市では以前の中心街はすっかり寂れ、再開発された地域も寂れつつあるといった感じだ。

ARAX-60は撮っていても、なんていうか破綻がないっていうか面白みがないっていうか、きっちりした写真になる気がする。フィルムやレンズのせいもあるのだろうけれど、一番はやっぱり腕の問題かなあ。今後も色々試していくしかない。

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flickerでは、おもにフィルムカメラ写真を追いかけているのだけれど、うまい人はもちろん山ほどいるのだけれど、好みの人がまた多くて、時に絶望する。基本的にフィルムカメラしか観ていないのだけれど、なんでこんな僕好みの写真が、さほどいいねもつかずにたくさんあるんだろうと毎回思ったりする。1日に数枚は、凄い、大好きって写真がある。
なんとなく特徴みたいな共通点みたいなものがあって、ある意味僕が撮っている写真をもっとうまく、静的でそれでいて劇的にした感じだ。まあ、それはそうだろうな。僕も僕の好きな写真を撮りたいと思っているわけだから。


これがInstagramになるとそこまではいかない。いいねとかは全然インスタの方が多い場合が多いわけだけれど、なんていうのか、波長があうといえばありきたりな比喩過ぎるけれど、本当に好みがあう人が多い。僕が好きな写真を好きな人は、世界を見渡せば、決して多くはないけれども、まったくいないというわけではないのだなあ、という思いを強くする。


自分の嗜好が独善だとか独特だとかってことは、基本的にはないのだろう。数ある嗜好の内の一つでしかないということだろう。


そんな中でも頭を殴られたと感じるほど好みの作品が昨日あった。それも2点も。偶然なのか、単純に僕が好きになるのがありきたりなことなのか。


https://www.flickr.com/photos/howiemudge/40737440073/in/feed


これは色使いがめちゃくちゃ好きだ。空の青というよりは白、海か湖かの水色、草の色、ベンチや土の茶色、それらのあわさが信じられないくらい好きだ。なぜかはわからない。大体、風景写真でも人がいる写真の方が好みなのだけれど、ベンチが人を連想させるのか、この孤独も優しさを感じさせる日差しも手前にあったピントも好きだ。


https://www.flickr.com/photos/aalmen/32759077007/in/feed


もう1点はモノクロ写真だけれど、この構図、雰囲気、人の配置、すべてが好きだ。
いつかこんな写真を撮りたいとは思わないのだけれど、ただただ好きだ。写真を観ていると幸せになるというよりは、心揺さぶられ過ぎて少しだけ物悲しくなる。それほど好きだ。

https://www.flickr.com/photos/birikumbi/32748289007


これは一昨日観た写真だったと思う。これもしびれた。こんな写真を撮りたいとは思わない。僕はそこまで欲張りではないつもりだ。だが、本当に凄い写真もまた山ほどあるのだろうとは思う。


ARAX-60, ARSAT 80mm/F2.8, PORTA 160, 現像:桜カメラ

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