ボケが嫌いだ。
いや、嘘をついた。本当はボケを簡単に撮れるカメラを持っていないだけだ。正直に言うと嫌いというほどの関心もない。技巧的過ぎるっていうかうまく見えすぎるっていうか、単純にそういったカメラを持っていないことからくるいいわけだけの可能性もある。
もちろん、肉眼で観ている物もリアルに存在している物その物を観ているわけじゃない。物を見るという場合、まず光が物に反射してそれを角膜と水晶体という二つのレンズによって眼球の奥にある網膜上に焦点を結ぶ。網膜は光を電気信号に変えて視神経へ送る。視神経は脳の視覚野に情報を伝える。カメラとある意味とてもよく似ている。
だからこそ、様々な要素がからむことで、おそらく一人一人見ている物も異なっているのだろうと思う。誰も他者の視点で見ることができないから気づかないだけで。また、全部カラーで見ている気がしているけれども、それは意識したほんの一部に過ぎず、周辺部に色はない。
それがカメラによって一部を切り取られることで、ある種のストーリー、物語をその中から読み取ってしまう。そういった意味では、写真の美しさとか感動というのは、人の脳の限界がもたらすものなのかもしれない。
MINOLTA TC-1, FUJICOLOR C200, センザキッチン, 現像:カメラのキタムラ萩店。 何気ない風景だけれど人物が存在しているだけで、何か意味があるのかもしれないという気がしてくるのが写真の持つ力であり、逆に言えば限界なのかもしれない。そこには写真という言葉とは裏腹に、切り取られたほんの狭い世界が見えているに過ぎない。並んで立っているように見える二人の人物が実際に知り合いかどうかさえも、当事者以外には本当の所はわからないのだ。 |
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