夕方の田舎の風景である。
すでに夕方と言ってもいい時間ではあるが、夏の陽はまだまだ高い。半月を過ぎ満月にまだ日がある月がぽっかり浮いていてちょっと不思議な感じだった。山の麓にはバイパスが見えているがこの時、車はたまたま走っていない。長門市街からはちょっと離れた方向だ。このあたりはそれなりに急な坂になっているが、ずっと頂きまで田圃が連なっている。おそらく弥生時代から延々と田圃として開拓され、使われてきた地なのだと思う。
第二次世界大戦後に開拓された地で生まれ育った僕からすると、こういった連続性は非常に不思議な気持ちになる。そして、新幹線や高速道路からはずれたこの地は、人口がやばいほど減っていて、半世紀後どうなっているのかまったくわからない。現状、コンビニとかスーパーがあれば、まだ本当の田舎とは呼べないと僕は実感しているけれど、そういったシステムもいずれは破綻していくのかもしれない。
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僕が好きな写真は、僕が撮りたい写真とは必ずしも一致はしない。僕がいいなあと思っても、必ずしも僕が撮りたい写真だということはない。僕は劇的な写真をあまり好まないけれど、良い写真だと思わないわけではない。なんか上から目線のようにも感じるけれど、ただの僕の嗜好の話だ。ただ、意図的に昔のフィルムカメラっぽくした写真もちょっとわざとらしいなあという気持ちが強い。偶然とカメラとフィルムと現像所に頼り切った写真を撮り続けるだけだ。
PENTACON six TL, ARSAT 80mm F2.8, f/11, 1/125sec., 2019/0810 17:25, FUJIFILM PRO160NS, 現像:桜カメラ |
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